展覧会

特別展

ミラノ アンブロジアーナ図書館・絵画館所蔵
レオナルド・ダ・ヴィンチ展-天才の肖像

2013年4月23日(火)~6月30日(日)

ミラノ アンブロジアーナ図書館・絵画館所蔵 レオナルド・ダ・ヴィンチ展-天才の肖像ポスター

ミラノのアンブロジアーナ図書館・絵画館が所蔵する、レオナルド・ダ・ヴィンチの油彩画《音楽家の肖像》と、スケッチやメモを編纂した『アトランティコ手稿』を中心に、レオナルドの芸術と、彼の影響を受けた「レオナルデスキ」と呼ばれる画家たちの油彩画、素描など約100点を紹介し、レオナルド芸術の真髄とその広がりを展覧します。

イタリア・ルネサンスの巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)。本展は、アンブロジアーナ図書館・絵画館が所蔵するミラノ時代のレオナルドの傑作《音楽家の肖像》と、レオナルド直筆のメモや素描を集成した手稿本『アトランティコ手稿』に収められた22葉を一堂に集め、レオナルド作品の魅力とその思考の過程を探るとともに、ベルナルディーノ・ルイーニやジャンピエトリーノら、レオナルド派の芸術家たち(レオナルデスキ)の油彩画、および同図書館・絵画館が所蔵する素描コレクションから精選した珠玉の素描群を通して、レオナルド作品の影響と、イタリアのルネサンス以降の素描の歴史における素描家レオナルドの重要性を明らかにします。
ミラノの大司教であったフェデリコ・ボッロメオ枢機卿によって17世紀初頭に設立されたアンブロジアーナ図書館・絵画館のコレクションが日本で紹介されるのは今回が初めてのことです。この貴重な機会に、歴史あるコレクションと天才芸術家の卓越した遺産をご堪能ください。

展覧会基本情報

展覧会基本情報
会期
2013年4月23日(火)~6月30日(日)
会場
企画棟 企画展示室
休室日
月曜日、5月7日(火)
※ただし、4月29日(月)、5月6日(月)は開室
開室時間
9:30~17:30(入室は閉室の30分前まで)
夜間開室
金曜日は9:30~20:00(入室は閉室の30分前まで)
観覧料

前売券 | 一般 1,300円 / 大学生・専門学校生 1,100円 / 高校生 600円 / 65歳以上 800


当日券 | 一般 1,500円 / 大学生・専門学校生 1,300円 / 高校生 800円 / 65歳以上 1,000


団体券 | 一般 1,300円 / 大学生・専門学校生 1,100円 / 高校生 600円 / 65歳以上 800
※団体割引の対象は20名以上


※中学生以下は無料
※身体障害者手帳・愛の手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳・被爆者健康手帳をお持ちの方とその付添いの方(1名まで)は無料
※いずれも証明できるものをご持参ください

主催
東京都美術館(公益財団法人東京都歴史文化財団)、TBS、朝日新聞社
後援
外務省、イタリア大使館、BS-TBS、TBSラジオ、J-WAVE
協賛
日本生命、日本写真印刷
学術協力
東京大学大学院人文社会系研究科
協力
アリタリア-イタリア航空、アルテリア、日本貨物航空、日本通運

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イベント情報

イベント情報
○記念講演会
日時
2013年4月23日(火)
テーマ
「ミラノの宮廷画家:レオナルド・ダ・ヴィンチ」
講師
サンドリーナ・バンデラ(ミラノ文化財省監督局長官)逐次通訳付

日時
2013年5月18日(土)
テーマ
「画家レオナルド・ダ・ヴィンチ─稀代の素描家にして思索家─」
講師
小佐野重利(東京大学大学院人文社会系研究科教授)

日時
2013年6月1日(土)
テーマ
「レオナルド・ダ・ヴィンチと肖像画」
講師
小林明子(東京都美術館 学芸員)

担当学芸員インタビュー

第1回 寡作の芸術家レオナルド・ダ・ヴィンチ関連作品が東京に集結

ミラノのアンブロジアーナ図書館・絵画館が所蔵する、ミラノ時代のレオナルドの傑作油彩画《音楽家の肖像》をはじめ、レオナルド直筆のメモや素描(スケッチ)を編纂した『アトランティコ手稿』、レオナルド自身や彼の芸術から影響を受けた「レオナルデスキ」と呼ばれる画家たちの油彩画、素描など、日本初公開作品を含む約100点を展示する本展。レオナルド・ダ・ヴィンチの人物像やその魅力、展覧会の見所などを、同展担当の小林明子学芸員に聞きました。

レオナルド・ダ・ヴィンチ博物館の塔からヴィンチ村を望む

レオナルド・ダ・ヴィンチ博物館の塔からヴィンチ村を望む

レオナルド・ダ・ヴィンチ上級者からビギナーまでそれぞれに楽しめる多彩な展示

――「ミラノ アンブロジアーナ図書館・絵画館所蔵レオナルド・ダ・ヴィンチ展—天才の肖像」とは
どのような展覧会ですか?

イタリア・ルネサンスの巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチ(以下、レオナルド)の油彩画《音楽家の肖像》のほか、直筆のメモや素描(スケッチ)を編纂した『アトランティコ手稿』から、よりすぐりの22葉を日本初公開します。イタリア・フィレンツェ近郊のヴィンチ村で生まれたレオナルドは、フィレンツェのアンドレア・デル・ヴェロッキオの工房に弟子入りして絵画を学び、その後、「ミラノ→フレンツェ→ミラノ」と拠点を移しながら創作活動を行なったルネサンスの巨匠ですが、画家としての活動のほか、彫刻、建築、舞台芸術、音楽、軍事、土木、人体、航空など、多岐に通じていた万能人とも言われています。

万能が故なのか、画家として完成させた絵画の数は少なく、展示作品が油彩画1枚のみという展覧会も珍しくありません。本展では、レオナルドに関連するミラノ時代の重要な油彩画と、画家の幅広い関心がうかがえる『アトランティコ手稿』に加え、レオナルド派の油彩画や、同時代の素描など、約100点もの展示が一堂に集められることになりました。

これだけの展示を一か所で見られる機会は世界的にも貴重ですし、素描からわかる当時の関心事や、作品が完成するまでの過程、作家の手の跡など、いつもと違った角度からレオナルドを感じていただける良い機会になると思います。美術ファン、レオナルドファンはもちろん、これまであまり絵画鑑賞に縁が無かった人にも興味を持っていただける新しい形の展覧会です。

レオナルド・ダ・ヴィンチの生家

レオナルド・ダ・ヴィンチの生家

――展覧会準備として実際にレオナルドの生家など、現地調査をされたとのことですが。

昨年の11月に、レオナルドの生家、レオナルド・ダ・ヴィンチ博物館、アンブロジアーナ図書館・絵画館など、ゆかりの地を回りました。まず、フィレンツェから電車とバスを使ってヴィンチ村へ行き、そこから3km程離れたアンキアーノという場所にあるレオナルドの生家に行きました。アンキアーノまでは公共の交通機関が無いため、トスカーナらしいのどかな山道を徒歩で移動しました。

華やかなフィレンツェに比べると、アンキアーノはとても牧歌的な雰囲気の漂う町で、いかにもイタリアの田舎町という風景が続いていました。そんな空間に身を置いてみると、自然に強い興味を持つなど、後のレオナルドの感性を育てる基礎となったのではないかと感じられました。生家は素朴な石造りの小さな家で、幼少期の部屋の再現など記念館的な演出はありませんが、レオナルドに関する映像が流されています。

ヴィンチ村に戻り、レオナルド・ダ・ヴィンチ博物館にも足を運びました。
ここには素描を立体模型やデジタル復元した資料展示など、レオナルドのアイデアがわかりやすく、現代的に説明されています。おそらく500年前と変わらぬ天才芸術家の生まれ故郷を訪れ、感慨深い気持ちになりましたが、さりとて、ゆかりの地を訪れてもなお、レオナルドの真筆作品に出会うことはなかなか難しいというのが現状です。東京で100点もの関連展示を見ることができる本展の価値の高さを改めて実感させられました。

[聞き手:進藤美恵子(東京都美術館 広報担当)/2013年6月11日掲載]

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第2回 イタリア・ルネサンスの巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチとは

レオナルド・ダ・ヴィンチは、ミケランジェロ、ラファエロと並び、ルネサンスの3大芸術家と称され、当時よりその芸術的才能を高く評価されていました。
彼が残した美術史への足跡には、スフマート技法と呼ばれるぼかしの技法や、半身像を自然にみせる技術など、後世に影響を与えものが多くありますが、残された作品は極めて少ない点数しかありません。その理由のひとつに、画家として秀でた実力を持ちながらも、絵画だけでなく彫刻、建築、舞台芸術、音楽、軍事、土木、人体、航空など、多方面に知識と興味を持っていたことがあるようです。
イタリア・ルネサンスの巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチとはどのような人物なのか、その人間像と美術史に与えた影響とは―。同展担当の小林明子学芸員に聞きました。

ドゥオモ前(ミラノ)

ドゥオモ前(ミラノ)

マルチな才能でアイデアを形にするレオナルド

――当時の芸術家はどのように活動していたのですか?

ルネサンス時代の画家は、パトロンから注文を受け、要望に合わせた絵を描いて支払いを受けるという仕組みの中で活動していました。レオナルドと同時期に活躍したラファエロは、このスタイルで活動した典型的な画家で、教皇をはじめ多くのパトロンに恵まれ、画家として成功を収めました。

一方のレオナルドは、注文主の期待通りの絵画を制作するタイプの画家ではありませんでした。もちろん、画家としての能力の高さは当時から皆に認められ、ラファエロをはじめ多くの画家が彼の作品を学び、手本としました。ルネサンスの芸術家たちは、古代作品や同時代の作品を貪欲に学び、それを自身の作品に取り入れながら、構図を練り、表現することを常としました。

それに対し、レオナルド自身は、人間であれ自然物であれ、実際のものを観察することを何より重視しました。現実世界のあらゆる事物に関心を向け、目に映るものを何でも素描したのです。時には探究心が強すぎて、人を描くなら人体の構造を知るべきと、死体を何体も解剖してその骨格や臓器を素描に描き移したとのエピソードが残るほどです。

このように自然を徹底して追求したレオナルドが生み出す絵画はとても独創的で、きわめて緻密に描かれた人物や風景は、単なる自然描写を超えたものとして解釈されることもあります。それは必ずしも注文主の期待に応えるものではなかったかもしれませんが、他の誰とも違う、新しい様式を確立したことは確かでしょう。

レオナルドと弟子の像(ミラノ)

レオナルドと弟子の像(ミラノ)

――レオナルドが美術史に残した影響にはどのようなものがありますか?

レオナルドは油彩画で「スフマート」という技法を駆使した絵画を描き、レオナルデスキと呼ばれる弟子達もこの技法を踏襲しています。
「スフマート」とは、イタリア語の「煙のような(fumato)」という単語に由来する言葉で、濃淡の変化を丹念につけて、輪郭を背景に溶け込ませるようにぼかす技法です。有名な《モナ・リザ》にもこの技法が用いられています。

――当時、レオナルドとはどのような立場だったのでしょうか。

レオナルドは、現代においては、ミケランジェロ、ラファエロと並び、ルネサンスの3大芸術家と称され、後の芸術家にも多大な影響を与えたことが知られていますが、本人は、必ずしも芸術家という枠にとらわれていなかったのではないでしょうか。その証拠に、彫刻、建築、舞台芸術、音楽、軍事、土木、人体、航空など多方面に関心をもち、素描や文字など、様々な形でこれらの分野に関しする記録を残しました。

極端な言い方かもしれませんが、レオナルドにとっては、自分自身で探求し、認識した世界を、できるだけその通りに、あるがままに記録し、伝える手段の1つが絵画であったということかもしれません。

――では、万能の人レオナルドの本業は何になるのでしょう。

1つの肩書きにこだわってはいなかったのではないでしょうか。そのことを象徴するエピソードとして、フィレンツェからミラノに移り住み、一旗揚げようと考えたレオナルドが、ミラノ公ルドヴィコ・スフォルツァに自分を売り込むための自己推薦状を送るのですが、その内容は画家としての売込みよりもむしろ、軍事用の武器や機械のアイデアがあることをアピールしていました。音楽家としてミラノに派遣されたという説もあります。

芸術家としての成功よりも、自分自身のアイデアを何かの形で認めてもらいたいという気持ちが強かったとも考えられます。

レオナルドは、多くの才能を持つ万能人、現代で言えばマルチな人です。本人が自分は何者と考えていたのか、本当のところはわかりませんが、多才な活動の中でも、何より芸術家としてもっとも秀でた功績を残したことは、誰もが認めるところでしょう。

[聞き手:進藤美恵子(東京都美術館 広報担当)/2013年6月11日掲載]

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第3回 レオナルドが作品よりも多く残した『アトランティコ手稿』とは

レオナルドは、油彩画作品の少なさに対し、多くの手稿を残したことで知られています。レオナルドのメモやスケッチの集積であるこうした手稿は、芸術家が何に興味を持ち、どんなアイデアを持っていたのかを知る貴重な資料となっています。
当時、ほとんどの画家が古代作品や同時代の人気を博した作品を手本として学び、それを自身の作品に取り込みながら作品を制作したのに対し、探究心が強いレオナルドは、「自然」を直接に観察、経験し、それに基づく思索から導き出される知識をもって、創作活動に臨むことにこだわりました。自然を凌駕することを目指したレオナルドの観察と思考のプロセスを見ることができるのが、今回日本初公開となる『アトランティコ手稿』です。同展担当の小林明子学芸員に聞きました。

アンブロジアーナ図書館・絵画館

アンブロジアーナ図書館・絵画館

記録魔レオナルドのネタ帳『アトランティコ手稿』

――今回、日本初公開となる『アトランティコ手稿』とはどのようなものですか?

『アトランティコ手稿』とは、レオナルドの遺品として残された1000枚以上の手稿を後世に集め、まとめたもので、現在はミラノのアンブロジアーナ図書館に収蔵されています。

内容は、絵画の下書きや構図をはじめ、数学、幾何学、天文学、植物学、動物学、土木工学、軍事技術のほか、多岐にわたる分野に関する素描や注釈が書き加えられています。
レオナルドはアイデアが浮かぶとそれをメモするという習慣があり、それが手稿という形で残されました。ですから、手稿はアイデアを書き留めた覚え書きまたはネタ帳のような存在と考えてもらえたら良いかと思います。

――レオナルドの直筆が見られるのですね。

はい。実は当時、芸術家には読み書きができる人が少なく、芸術家が活字を使って表現するということは稀なことでした。
レオナルドは、自身を「無学の人」と称していましたが、その自然観察と思索の膨大な記録である手稿の存在は、彼が真の知識を求めて、情報を貪欲に収集し、それを素早く書き残す能力があったことの証といえるでしょう。

今回の展覧会には、レオナルドの蔵書リストを含む紙葉も展示されます。蔵書の中には、プリニウスやリウィウスなどの古典から、同時代の文学作品、さらには料理や手相の本までもが含まれており、レオナルドが相当な読書家で、書物からも、多くの知識を得ていたことがうかがえます。

また手稿に描かれた素描やスケッチからは完成された絵画では認め難い試行錯誤の跡や、画家の息づかいが伝わってきます。手稿はレオナルドの新たな一面を知る手がかりとなるだけでなく、それを見ることで1枚の絵画を見る以上にレオナルドという人物とその作品に近づけるかもしれません。

――手稿が収蔵されているアンブロジアーナ図書館・絵画館とはどのような所なのですか?

アンブロジアーナ図書館・絵画館は、ミラノの大司教フェデリコ・ボッロメオ枢機卿によって17世紀初頭に設立されました。当初は、社会貢献の一環として美術品のプライベートコレクションを一般公開することを目的とし、その後、芸術家を目指す人のためのアカデミー的な役割を担っていた時期もありました。

「アンブロジアーナ」とは、ミラノの守護聖人である聖アンブロシウスにちなむ名前です。規模は大きくはありませんが、そのコレクションの中には、ラファエロの《アテナイの学堂》の原寸大下絵や、有名なカラヴァッジョの《果物籠》などがあります。イタリアでも歴史の古い、貴重なコレクションの一つです。
『アトランティコ手稿』は、もともとはレオナルドの遺産として残された手稿を、16世紀末に彫刻家ポンペオ・レオーニが編纂したもので、それが別な人の手に渡った後、17世紀末にアンブロジアーナに寄贈されました。ナポレオン侵入の際にはパリに持ち去られましたが、無事に返還され、今に至ります。

――今回展示される作品や手稿から、レオナルドとはどのような人だったと思いますか。

芸術家という枠に収まらず、多くのことに関心を持ち、それを探求し、記録した人だと思います。
あらゆる自然を把握し、世界の真理を追求することを求めたレオナルドにとって、絵画とは芸術作品というよりもむしろ、色や形によって目に見える世界を捉える方法の一つであったのかもしれません。一筋縄ではいかないところが、レオナルド・ダ・ヴィンチの最大の魅力といえるでしょう。

[聞き手:進藤美恵子(東京都美術館 広報担当)/2013年6月11日掲載]

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