歴史をひもとく

  • 文:山村仁志(東京都美術館元学芸員、府中市美術館館長)

東京都美術館100年のトピックを、各時代の出来事やニュース、話題、人物などに焦点を当てながら詳しく紹介していきます。
1926(大正15)年から現在(2026年)までの歴史を振り返って、美術館に関わってきた人々に思いを馳せるシリーズです。

  • *美術館の名称について:1943年7月の都制施行に伴い、「東京府美術館」から「東京都美術館」への名称変更されました。

❿ 大原孫三郎蒐集泰西美術展

「大原孫三郎蒐集泰西美術展」会場風景 1928年 当館アーカイブズ
「大原孫三郎蒐集泰西美術展」会場風景 1928年 当館アーカイブズ

1928(昭和3)年2月22日から3月12日にかけて、「大原孫三郎蒐集泰西美術展」が開催されました。東京府美術館が初めて主催した企画展です。ヨーロッパの近代絵画(70点)の他、エジプトやペルシャの古美術(37点)、トルコも含めた古陶器(60点)、そして陶器破片(200点)などが展示されました。

大原孫三郎は、倉敷紡績、倉敷毛織(現クラボウ)、倉敷絹織(現クラレ)などをつくった大実業家で、佐藤慶太郎と同じく慈善家、篤志家でした。書画骨董が趣味で美術は好きでしたが、専門家ではありませんでした。

大原の1歳年下の同郷の友人で画家の児島虎次郎は、大原孫三郎の委託を受けて、3度ヨーロッパに渡り、優れた美術品を買って日本に持ち帰りました。ですから、実際にヨーロッパで作品を「蒐集」したのは、実業家の大原ではなく画家の児島虎次郎でした。「泰西美術」と言っても、児島はフランス近代絵画だけでなく、中近東の古美術や陶片まで熱心に収集しています。彼は、自分も含めた日本の画家たちの勉強のために参考となる優れた美術作品や資料を収集したのです。この展覧会において、大原コレクションが関東で初めて公開されました。エル・グレコ、セガンティーニ、ピサロ、ルノワール、モネなど近代絵画およそ70点を含む、同コレクションの当時最大規模の展示でした。

本展が開催された翌年、1929年に、児島虎次郎が47歳の若さで突然亡くなります。孫三郎は、友人の死を契機に故郷、岡山県倉敷市に美術館を建設することを決意します。児島虎次郎が集めたコレクションは、その後日本で初めての西洋美術中心の私立美術館となる大原美術館(1930年開館)の核となる優れたものでした。昨年2025年4月に大原美術館の別館として、児島虎次郎記念館が旧中国銀行倉敷本町出張所を利用してリニューアルオープンしています。

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