歴史をひもとく

  • 文:山村仁志(東京都美術館元学芸員、府中市美術館館長)

東京都美術館100年のトピックを、各時代の出来事やニュース、話題、人物などに焦点を当てながら詳しく紹介していきます。
1926(大正15)年から現在(2026年)までの歴史を振り返って、美術館に関わってきた人々に思いを馳せるシリーズです。

  • *美術館の名称について:1943年7月の都制施行に伴い、「東京府美術館」から「東京都美術館」への名称変更されました。

❾ 東京府美術館と“書”の公募団体展

1926(大正15)年に東京府美術館が開館した時、書道団体は広い展示会場ができたことに強い期待を寄せていました。しかし、書を美術館で展示することに、必ずしも日本画家、洋画家、彫刻家、工芸家等の賛成を得ることはできませんでした。当時書家の大同団結団体「日本書道作振会」を取りまとめていた書家・豊道春海ぶんどう しゅんかいが、横山大観など画壇の有力者に会って話をしても、なかなか前に進みません。そこで豊道は、上京していた佐藤慶太郎が滞在中の旅館を訪問して、書道の伝統と歴史について熱を込めて説明し、佐藤の理解を求めました。後に、その時のことを豊道は以下のように語っています。

「最後に僕は、“……縷々るる申上げたように書道は我国伝統芸術のもっとも大切なものだから、是非これは貴方の御寄付によって立派に出来た美術館において普及発展を図りたいのだが、いろいろと説があって、美術館を使用する承諾が得られない。これは貴方の賛成一つで決すると思いますが、御賛成願えますまいか”と切り出したわけだ。ところが、ところがだ、言下に『私は賛成です』となんの飾りもなくいわれるではないか(中略)これで流石の難問題も一挙に解決したわけで、書道界としては全くこの佐藤慶太郎翁には感謝しなければならない。」豊道春海「私の履歴書」(『近代書壇の父 豊道春海翁の生涯』瑞雲書道会 2012年 p. 51–53)

豊道春海は、早速佐藤慶太郎に当時の平塚広義東京府知事あてに書展賛成の書簡を書いてもらいました。後日、それを持って知事に直接掛け合います。これが決め手になり、展示場使用が許可されて、開館の年1926年11月に、「第2回日本書道作振展」が実現することになったのです。

豊道春海『近代書壇の父 豊道春海翁の生涯』瑞雲書道会 2012年 口絵より
豊道春海『近代書壇の父 豊道春海翁の生涯』瑞雲書道会 2012年 口絵より

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