東京都美術館100年のトピックを、各時代の出来事やニュース、話題、人物などに焦点を当てながら詳しく紹介していきます。
1926(大正15)年から現在(2026年)までの歴史を振り返って、美術館に関わってきた人々に思いを馳せるシリーズです。
❸ 東京府美術館が開館できた理由
1926(大正15)年5月1日、当時の画家、彫刻家、工芸家たちが待望していた東京府美術館が開館しました。美術館の設計者は、様式美の建築家、岡田信一郎(1883–1932)でした。施工は、(株)大林組が担当しました。ヨーロッパの神殿を思わせる正面の6本の巨大な柱と、仰ぎ見る大階段。美術館の名前に相応しい正面入口の佇まいです。文展、院展、二科展などの公募展に入選して、ここに作品が飾られることは、社会に一人前の芸術家として認められたことを意味しました。展覧の名誉と古典的な建築様式が相まって、いつからか「美の殿堂」と称されるようになりました。写真は、開館当初、正面から見た東京府美術館(旧館)の偉容です。
しかし、東京府の財源不足などから、開館への道は決して平坦なものではありませんでした。1921年3月には、恒久的美術館の建設が府議会に提案されましたが、財源不足により議会には反対者が多かったといいます。その苦境を救ったのが、九州出身の一人の実業家でした。たまたま『時事新報』に掲載された社説「常設美術館」を読んだこの石炭商が、東京府にほぼ資産の半分にあたる金額の寄付を申し入れたのです。それが、佐藤慶太郎(1868–1940)です。石炭業で財を成した佐藤慶太郎の100万円(今のお金で約40億円)の寄付金により、わが国最初の公立美術館が誕生したのです。佐藤は美術館のみならず、貧困に苦しむ人への救済組織や学校の創設、食生活や農村の改善、女子教育の向上を願いながら、私財の大半を投じた稀にみる篤志家でした。