歴史をひもとく

  • 文:山村仁志(東京都美術館元学芸員、府中市美術館館長)

東京都美術館100年のトピックを、各時代の出来事やニュース、話題、人物などに焦点を当てながら詳しく紹介していきます。
1926(大正15)年から現在(2026年)までの歴史を振り返って、美術館に関わってきた人々に思いを馳せるシリーズです。

  • *美術館の名称について:1943年7月の都制施行に伴い、「東京府美術館」から「東京都美術館」への名称変更されました。

❼ 佐藤記念室誕生の背景

1953(昭和28)年3月、1階北側の工芸展示室を改装して、美術館職員の念願だった常設展示室「佐藤記念室」が開設されました。「常設美術館」の建設を願って私財を寄付した篤志家、佐藤慶太郎にあやかっての命名です。
「常設展示室」といっても、この時点では十分な所蔵作品や設備はなく、複製印刷物などを展示して、美術史理解と鑑賞に役立てる目的で設けられた展示室です。図書室と展示室と教育普及空間の中間にあるような施設でした。また、日本で博物館法が公布されたのは、その約1年前の1951年12月のことであり、東京都美術館にはもちろん、全国の美術館、博物館の中でも学芸員はほとんどいませんでした。では、どうして企画や展示ができたのでしょうか。佐藤記念室の内容や運営を考えていたのは、一般の職員(東京府主事)だったのです。はっきりしたところは不明ですが、おそらく1950年5月に既に美術館次長になっており、後の1955年6月には美術館長に就任した早川治平はやかわじへい(1900–1979)の力があったものと思われます。早川は明治大学法学部の出身でしたが、美術館に30年以上勤めてきた、美術が大好きなベテランの公務員でした。
最初の展示は、「印象派絵画複製展」で、このような展示の他、映写会、講演会、デッサン会にも利用され、将来的には美術資料や美術図書の収蔵も意図されていました。写真を見ると、展示室内が寒いのか、多くの観客がコートを羽織り、真剣な表情で複製印刷物を鑑賞しています。因みに、1957年の「浮世絵名作展」の写真手前に見えているケースは、開館当初から現在まで現役で使われている優れものの覗きケースです。

  • 「印象派絵画複製展」を鑑賞する人々 1953年3月 当館アーカイブズ
    「印象派絵画複製展」を鑑賞する人々 1953年3月
    当館アーカイブズ
  • 「浮世絵名作展」を鑑賞する人々 1957年5月
    「浮世絵名作展」を鑑賞する人々 1957年5月
    当館アーカイブズ

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