写真:間庭裕基
本展「つくるよろこび 生きるためのDIY」では、自分自身の創意工夫で問題を解決するアプローチとしての「DIY(Do It Yourself)」を作品制作に昇華したアーティストたちを紹介している。さらに一歩「DIY」を掘り下げて、<より良く生きるための手段>、<不便や困難を乗り越えるために生まれる動きや働き>と捉え、近年注目されるウェルビーイングやケアリングとの関連性にも視線を送る。
「DIY」と聞けば、東急ハンズとパンクを連想するのが筆者の世代である。
1970-80年代のハンズには、自分が作りたいもののイメージを相談すれば、かならず的確な素材と技法の「解」を示してくれる経験豊富な熟練の店員さんがいた。
1970年代半ばにニューヨークとロンドンで発生したパンクムーヴメントが標榜したのも「DIY」である。商業化した音楽産業と弱者を切り捨てる体制に反発し、「誰もが音楽を作れる」という民主性を「DIY」精神をもって表現したのだ。狭いベッドルームで自分の感覚を頼りにつくり出したシンプルなリフやストレートな歌詞、挑発的なファッション、社会への不満と皮肉に満ちたステートメントが彼らの反骨の姿勢だった。さらに世紀を跨いで、現代美術のメインストリームでは、ダミアン・ハーストらのYBA、ジム・ランビー、トム・サックス、バンクシーなどの作家たちが、パンクの「DIY」精神を継承する活動を展開している。
写真:間庭裕基
本展の参加作家のひとりである久村卓は、生きてきた環境や自身が置かれた状況から、自然に「DIY」を選び取ったアーティストだ。
久村は1977年、建築家の父とコーディネーターの母のもと東京で生まれた。多摩美術大学の彫刻学科を卒業するが、ヘルニアの発症により、重い素材や力を必要とする彫刻制作が困難となる。もともと”力技ありき”の制作プロセスに違和感を覚えていたという彼は、心身ともに負担をかけない「軽さ」を重視した制作を模索するようになる。現代美術全般についていえば、当時すでに素材や手法は十分すぎるほどに多様化が進んでいた。だが美大の彫刻科で学んだ作家としては、久村は異例の存在だったはずだ。彼が選んだ素材や技法は一般的なハンドメイドやクラフトに使われる、いわゆる趣味的な「DIY」に属するものだったからだ。
「アカデミックな彫刻の作り方から逃れないと制作を続けられないという思いから選んだ方法でした。物理的な素材の軽さだけでなく、美術のアカデミズムのなかにいると押し付けられる重たい空気をうっちゃりで交わすような、気持ちの軽さを求めていました」と久村は語る。
写真:間庭裕基
本展ではいくつかの久村の代表作が展示されている。台座や額を刺繍することで、服のロゴマークやよごれをモニュメントや抽象絵画に見立てた「着られる彫刻」。マルセル・デュシャンの系譜に連なる「レディメイド」の手法で、既製品を控えめな装飾として取り込んだベンチ。洗濯物のTシャツを仕分けし畳んで積み上げた、家事労働で作るミニマルアート。いずれも取るに足らない日常的な事物を使って、最小の手つきで洒脱に仕上げながらも、その視点の新鮮さで観るものにささやかな覚醒をもたらすコンセプチュアルな作品群だ。これらの作品に通底するのは、専門的な技法でなく誰もが手に入れられる素材や技術を取り入れ、美術と日常が乖離しない世界線を示そうとする、やわらかだが革新的な平衡感覚である。
写真:間庭裕基
前述のとおり、久村は建築家の父とコーディネーターの母を持つ”街っ子”育ちである。両親の卓抜したビジュアルセンスで選ばれた画集や、本物の民藝、洗練されたデザインプロダクツが日常にある環境で育ったことは、彼の作家性に少なからず影響をもたらしたはずだ。
「子どもの頃から本物を見せてもらえたことは大きいと思います。柳宗理が父(柳宗悦)から民藝のエッセンスを受け継ぎ、プロダクトデザインへと繋げた仕事から、”ちゃんと作る”ことの大切さを学びました。DIYといっても、誰にでもできそうでできない発想やきめの細かさが大事だと思っています。カチッとした仕上げに宿る”ときめき”に、作品のエッセンスや世界観が翻訳されているからです。美術界では軽い悪意を込めて使われる言葉ですが、僕は”センス”と軽さで勝負したい」と久村は語る。
久村の「作るよろこび」は、物心ついた頃から鍛えられた”センス”という、曖昧でとらえどころがないが、ブレない眼の力に支えられている。工芸、クラフト、デザインといった応用芸術と美術の境界がもはやあまり意味をなさなくなった今だからこそ、てらいなく”センス”を発揮する姿勢は現代的な創作との向き合い方といえる。
また、「DIY」精神にあふれた表現の危うさは、ちょっとした手心次第で、手芸やクラフトの延長、あるいは「おかんアート」(®️都築響一)に位置づけられてしまうところにある。これに対し、ありふれた服や家具に擬態した久村の作品は、慎重に選び抜かれた素材や仕上げの”センス”で、「DIY」のクオリティを担保する。同時に、そこには「美術」に付きまとう表現主義的な崇高性や制度内の権威性に対する批評的視点が巧妙に縫い込まれている。
本展会期中の毎週金曜日、久村の展示空間に誂えられたカウンターでは、彼が継続的に実践している「織物BAR」が開かれている。カクテルをオーダーするような軽さでカウンターに並んだ織糸を選び、気の向くままに織っていくと、手のひらサイズの織物が出来上がる。筆者も参加したが、いつの間にか集中してのめり込み、ひとつ仕上げるともう次の作品を作りたくなるほど、「作るよろこび」を実感する体験だった。近年さまざまな場所で開催されるごとに、その周辺地域で集められた布類から作られた織糸を使う機会が多くなり、サイトスペシフィックな性質を帯びてきたという。
写真:間庭裕基
「最初は刺繍のワークショップからスタートしました。あるキュレーターから『そこに人がいるだけでいい場所をあなたなら作れる』と背中を押され、BARカウンターを制作するようになりました。フットワークが大事なのでモバイル性もひと工夫し、最新のカウンターはネジ不要の組立式にしました。カウンターの中心にいる自分をハブとして緩やかな繋がりが生まれ、ものを作るだけでなく、居合わせた人同士が共に居ることを楽しむ場所と時間を作り出すことができます。掛け軸やお茶道具を眺めながらただ会話を楽しむ、茶道の概念にも共感するところがあります。自分の作品は彫刻にさえなっていればいい、それ以上語るべきことはないと考えています。作品の裏にあるものを読もうとしなくていい、表面に見えているものがすべてであってもいいじゃないか、と」、そう久村は語ってくれた。
写真:間庭裕基
近年、YouTubeに投稿されるアウトドアや日常生活のライフハックを見るたび、災害など困難や不自由に立ち向かうサバイバル術としての「DIY」の必要性を痛感する。だがそれ以上に刺激されるのは、コロナ禍のステイホームの内省の時間に多くの人が取り戻した、より健やかに生きるために「自分で作る」ことのよろこびである。
久村卓は、アーティストとして生きる選択をする時期に、身体と心の声に応えるアプローチを探り、自身の”センス”を頼りに「軽さ」という解を見いだした。「それによって『続ける』事がいつの間にか苦しくなくなり、よろこびに変わり、そして生きる事へと繋がった」と彼が記したステートメントは心に響き、美術教育のあり方を考えさせるものだった。
ほのかに挑発的な発想と確かな技術によって、久村が「作るよろこび」を獲得するまでの道のりは、多様な境遇の作家が独自に活躍しうる現代の美術の、さらに今日的な展開を示している。
写真:間庭裕基
久村卓
1977年東京都生まれ。多摩美術大学彫刻学科卒業。ヘルニア発症がきっかけとなり、心身ともに軽さを重視した制作を模索する中で、ハンドメイドからDIYクラフトまで、美術の周縁に位置する技法や素材を積極的に採用するようになる。控え目な手つきで変化を生み出しながら、従来の美術制度の枠組みを問いかけるような作品を制作している。本展では、手芸による「着られる彫刻」や、既製品を装飾として取り込んだレディメイドの手法で制作されたベンチなどを展示する。
文 住吉智恵