アンドレア・デル・ヴェロッキオ(帰属)
《幼児キリストを礼拝する聖母(「ラスキンの聖母」)》
1470年頃 テンペラ、油彩・カンヴァス(板から移行)
©Trustees of the National Galleries of Scotland
「ラスキンの聖母」という通称のとおり、本作は19世紀英国の著名な評論家で芸術家のジョン・ラスキン(1819-1900)が所蔵していました。本作の最大の特徴は、当時のフィレンツェの聖母子像としては異例なことに、壮大な古代建築を背景としているところにあります。この廃墟となった建築物は、キリスト誕生の瞬間に崩壊したといわれる、ローマのテンピオ・デッラ・パーチェ(平和の神殿)かもしれません。ここでは、古い宗教に対する新しい宗教(キリスト教)の勝利を表す比喩として描かれています。
この作品はカーソルを合わせると拡大可能です
ディエゴ・ベラスケス
《卵を料理する老婆》
1618年 油彩・カンヴァス
©Trustees of the National Galleries of Scotland
ベラスケスは、その魔法のような筆捌きにより「画家の中の画家」と呼ばれるほど、巨匠たちの中でも傑出した存在です。本作は、ベラスケスがまだ18歳か19歳のときに描かれた傑作で、スペイン語で「ボデゴン」と呼ばれる、静物画的要素の強い台所や居酒屋の場面を描いた作品の一つです。前景には、台所の器と平凡な食材の静物が巧みに描かれており、それらの質感の違いを見事に描き分けています。特に、老婆が調理している卵の白身に火が通って固まりつつある描写は、この上なく素晴らしいものとなっています。
この作品はカーソルを合わせると拡大可能です
ジョシュア・レノルズ
《ウォルドグレイヴ家の貴婦人たち》
1780-81年 油彩・カンヴァス
©Trustees of the National Galleries of Scotland
レノルズは18世紀を代表する英国の肖像画家で、ロイヤル・アカデミーの初代会長でした。彼の目標は、歴史画の様式で肖像画を描くことにより、肖像画の地位を高めることにありました。本作はレノルズの代表的作の一つで、ウォルドグレイヴ家の三姉妹が、洗練された手仕事に取り組んでいるところを描いています。彼女たちは流行の衣装や髪型をしているにもかかわらず、時代を超えた美しさを感じさせます。三人の優美な女性たちという構図は、「三美神」という古典的な主題を暗示させています。
この作品はカーソルを合わせると拡大可能です
フランシス・グラント
《アン・エミリー・ソフィア・グラント(“デイジー”・グラント)、ウィリアム・マーカム夫人(1836-1880)》
1857年 油彩・カンヴァス
©Trustees of the National Galleries of Scotland
貴族の次男として生まれたグラントは、キツネ狩りや絵画の収集で財産を使い果たし、お金を得るために職業画家となりました。ほぼ独学で油彩画を学び、自身の出自も生かして、当時の上流階級から多くの注文を受ける肖像画家となります。1866年には、スコットランド人として史上唯一、ロイヤル・アカデミーの会長に選出されています。結婚直前の次女を描いた本作は、絶頂期にあったグラントによる女性肖像画の傑作です。彼は、個人的な思いを込めて描いたこの作品を、終生手元に残しました。
この作品はカーソルを合わせると拡大可能です
ジョン・エヴァレット・ミレイ
(サザンプトン、1829 – ケンジントン、1896)
《「古来比類なき甘美な瞳」》
1881年 油彩・カンヴァス
©Trustees of the National Galleries of Scotland
ロイヤル・アカデミー・スクールに史上最年少で入学したミレイは、1848年にラファエル前派の創設に加わっています。しかし、徐々にラファエル前派の創設理念から離れていき、制作活動は多様化していきます。特に人気を博したのは、理想化された子供を感傷的に描いた「ファンシー・ピクチャー」でした。本作は当初、《スミレの花を持つ少女》と題されていましたが、後にエリザベス・バレット・ブラウニングの詩「カタリーナからカモンイスへ」から引用した現在のタイトルへ、画家自身が変更しています。
この作品はカーソルを合わせると拡大可能です
クロード・モネ
《エプト川沿いのポプラ並木》
1891年 油彩・カンヴァス
©Trustees of the National Galleries of Scotland
印象派を代表する画家モネは、1891年の晩春から秋にかけて、ジヴェルニーから2キロメートルほどの村リメツのポプラ並木の連作に取り組み、23点を制作します。アトリエ舟にイーゼルを立て、この連作の多くの絵画に表れるS字形のポプラ並木の眺めをつくり出しました。青々とした並木と綿雲の点在する青空から判断すると、本作の制作時期は晩春だと考えられます。このポプラ並木を伐採し競売にかける計画が持ち上がると、モネは材木商と協力してポプラ並木を残すことに成功し、連作を描き続けることができました。
この作品はカーソルを合わせると拡大可能です