東京都美術館 は、1926(大正15)年5月1日に東京府美術館として開館しました。早稲田大学や東京美術学校で教壇に立ち、多くの後進を育てた 建築家岡田信一郎の設計によるものです。その建物は、四方の入り口に 列柱を配したヨーロッパ古典主義 の建築でした。
列柱を仰ぎ見るように階段を上がり、正面入口から広間をまっすぐ進むと彫刻室に下りる階段に出ます。吹き抜けで天井が高く、光に満ちた明るい空間。 それをぐるりと取り囲むように、地階に工芸陳列室、事務室や食堂、主階に絵画陳列室が配されていました。
この文字どおりの「美の殿堂」を設計したのが岡田信一郎です。 1920年代後半、東京府美術館、黒田記念館、東京美術学校陳列館という日本における美術施設のさきがけを相次いで設計し、上野公園内に完成させています。様式建築の名手とうたわれた建築家でした。
日本初の本格的なギャラリーという新しい建築の課題に、岡田は意欲をもって取組ました。そのひとつが採光です。陳列ケースを使用する工芸室や食堂のある地階の壁には窓を配しましたが、主階の絵画陳列室では展示用の壁を確保するために天窓を採用し、柔らかい自然光が差し込む空間になっていました。
一方、中央にある彫刻陳列室には、当初、四方の壁に沿って装飾的な列柱が計画されていました。しかし朝倉文夫ら彫刻家が作品を邪魔する列柱の取り外しを依頼。岡田はそれを受け入れて修正し、工事が始まったのです。
1926(大正15)年5月、開館を迎えたその建築は、美術家の意図をくみ取り、実用性を重んじた美術館として、歓喜の声とともに誕生を祝福されました。
旧館(第一次増築工事後)の建物概要
岡田信一郎
1883(明治16)年~1932(昭和7)年。東京生まれ。
東京帝国大学建築学科 卒業、 東京美術学校(現・東京藝術大学 )、早稲田大学で教壇に立ち、多くの後進を育てた。
大阪市中央公会堂のコンペでは最年少で1等となる。 様式建築の名手と言われた。
手掛けた主な建築は、大阪市中央公会堂[1917(大正6)年<重要文化財>]、
歌舞伎座[1924(大正13)]年、明治生命館[1934(昭和9)年<重要文化財>]など。