建築概要

新館と建築家・前川國男

東京都美術館の現在の建物は1975(昭和50)年9月に竣工しました。設計は、株式会社前川國男建築設計事務所(現:前川建築設計事務所)によるものです。日本のモダニズム建築の巨匠・前川國男は、公共建築の設計では、広場やロビー、レストランを重視しています。その場を訪れる人がどれだけ都市的な楽しみを味わえるかに力を注ぎ、建築を通して都市の空間を生み出していったのです。

評論家・加藤周一はこう指摘しています。
「東京の街並みは無秩序である。そのなかで、与えられた敷地に何棟かの建物を配置して、そこにいわば極小の都市空間をつくり出すのが前川國男の一貫した態度である。建物の壁に囲まれた中庭や吹き抜けは、通路としてだけでなく、息抜きや憩い、出会いや立ち話の場として機能する。 要するに、調和的な都市空間がそこに縮小して作り出されている。」

この建物の機能として(1)常設・企画機能(=企画展の開催)、(2)新作発表機能(=公募展の開催)、(3)文化活動機能(=教育普及事業の展開)の3つが盛り込まれていました。敷地条件は、風致地区の15mの高さ制限や公園法の関係で、この建物の建築面積は旧館以下にしなければなりません。しかし、旧館の延床面積(17,000㎡)の倍近い面積(31,000㎡)を確保することが求められ、必然的に総面積の約60%近くを地下に設けざるを得ませんでした。

先の3つの機能的要求と敷地条件を受け、前川國男建築事務所では、中央に広場を設け、企画・常設ブロック、公募展示ブロック、文化活動ブロックをそれぞれ独立させ、広場を取り巻くように配置する基本的な構想をまとめました。

また、「(1)展示された美術品に対して、あくまで『中立平静』な背景を提供すること、(2)外部環境の疎外をできる限り避けること、(3)耐久性を考慮した素材および構法によって『平凡な素材によって、非凡な結果を創出する』こと」(「東京都美術館基本設計説明書」より原文のまま)の3点を設計のテーマとし、具体的な設計を始めました。

この3点は基本設計・実施設計および設計・監理と、竣工するまでの作業全般にわたって指針としました。また、(2)のテーマは、敷地周囲に「銀杏」「椎」「けやき」といった巨木が上野の森を形成しており、この環境を疎外させないよう、注意深くどのように配置するかというテーマにつながったのです。

エントランスホールを含むメインフロアは地下1階に設定され、機能ごとにブロック化された公募展示棟、企画展示棟、文化活動棟に取り巻かれたエスプラナードから、地下1階の広場へ求心的に導くよう計画されました。この配置は外部空間を疎外せず、しかも公園とのつながりを求め、なおかつ館内導線をわかりやすくするよう意図されたものです。

前川國男のスケッチより

前川國男のスケッチより

前川國男・都美術館スケッチ

前川國男・都美術館スケッチ

前川國男・パリ・ポンピドーセンターコンペスケッチ

前川國男・パリ・ポンピドーセンターコンペスケッチ

コラム:建築家・前川國男について

1905(明治37)年5月14日~1986(昭和61)年6月26日。新潟市生まれ。
1928(昭和3)年に東京帝国大学工学部建築学科を卒業すると同時に渡仏し、巨匠ル・コルビュジエのアトリエで学びました。
帰国後、アントニン・レーモンドの事務所に入り、1935(昭和10)年に独立。
その後日本を代表する建築物を数多く手がけ、日本の近代建築史に大きな足跡を残しました。